この場を借りて、2005年を総括、
するワケがない。
たしかに何かと年の変わり目は節目ということで、つい「まとめ」たくなるのも
当然とはいうものの、
自分(たち、と敢えて書いてみる)のやる事に関していえば、
2005年が終わったから、さぁ2006年、というモノでもない。
脈々と、それこそいつのころからかわからない記憶や経験、思考、
たまの(しょっちゅう?)失敗や後悔も引っ括めて、
延々と続いているからこその「今」である。
自分のやっていることは変わらない。
そう言いきれるようになったのもここ最近。
変わらなきゃ、なんて言ってるヤツほど変わってないよな自民党。
たとえ明日からたこ焼き屋を始めたところで、
自分がやればたこ焼き屋が「テクノ」なのだ、多分。
ほら、そう考えると、どんなところにも行けるワケ。
ボルトンに行っても、バルセロナに行っても(あれ?)、
お豆腐屋になっても、尼寺へ行け尼寺へ、で、尼僧になっても、
何をしてもいいのだと思うと、気が楽になる。ほんのちょっとだけど。
領域を超えて拡がり溶ける自分の姿はある意味、究極のサイケ。
かちゃくちゃねぇ、はやくとろけて、と見る夢は左うで。
というようなことを考えている年の瀬@2005年。
北の国から送られてきた300余曲の音源のおかげで、
ただいまバッド・チューニング(これは英語ではありません)。
80年代の、自分が一番影響を受けた音群の波状攻撃を受けて、
とても新鮮な気持ちになっています。
今年もみなさん、ありがとうございました。
2006年も一緒に楽しめるといいですね。
S+FOR+SWEEPか、どこかのクラブ、
もしくはまだ見ぬ場所にてお会いしましょう。
するワケがない。
たしかに何かと年の変わり目は節目ということで、つい「まとめ」たくなるのも
当然とはいうものの、
自分(たち、と敢えて書いてみる)のやる事に関していえば、
2005年が終わったから、さぁ2006年、というモノでもない。
脈々と、それこそいつのころからかわからない記憶や経験、思考、
たまの(しょっちゅう?)失敗や後悔も引っ括めて、
延々と続いているからこその「今」である。
自分のやっていることは変わらない。
そう言いきれるようになったのもここ最近。
変わらなきゃ、なんて言ってるヤツほど変わってないよな自民党。
たとえ明日からたこ焼き屋を始めたところで、
自分がやればたこ焼き屋が「テクノ」なのだ、多分。
ほら、そう考えると、どんなところにも行けるワケ。
ボルトンに行っても、バルセロナに行っても(あれ?)、
お豆腐屋になっても、尼寺へ行け尼寺へ、で、尼僧になっても、
何をしてもいいのだと思うと、気が楽になる。ほんのちょっとだけど。
領域を超えて拡がり溶ける自分の姿はある意味、究極のサイケ。
かちゃくちゃねぇ、はやくとろけて、と見る夢は左うで。
というようなことを考えている年の瀬@2005年。
北の国から送られてきた300余曲の音源のおかげで、
ただいまバッド・チューニング(これは英語ではありません)。
80年代の、自分が一番影響を受けた音群の波状攻撃を受けて、
とても新鮮な気持ちになっています。
今年もみなさん、ありがとうございました。
2006年も一緒に楽しめるといいですね。
S+FOR+SWEEPか、どこかのクラブ、
もしくはまだ見ぬ場所にてお会いしましょう。

一ヶ月ほど前に、BSで、ボブ・ディランのドキュメンタリー「ノー・ディレクション・ホーム」をやっていたので、ビデオにとって5回見た。
ウディー・ガズリーやピート・シガーら、ボブの音楽活動の出発点となるトラディショナルなフォーク、カントリーなどを若干飽きがくるぐらいに丹念に触れた後は、フォークミュージックの継承者・世代の代弁者としての重荷を背負わせられる過程、アコースティック楽器だけでは収まりきらなくなったボブの才能の爆発から、エレキギターを持ったボブに対する周囲の戸惑いとバッシングまで、その恐ろしいほど巨大な状況の変化の渦に、テレビのこっち側まで飲み込まれていくような、そんなシリアスなドキュメント。あと、個人的にはアレン・ギンズバーグがちゃんと出てくるところが嬉しい。
「裏切り者!」と野次られ、「I Don’t Believe You」と返すボブ。バックバンド(後のTHE BAND)と向き合って、「でっかくいくぞ」と声をかけて鳴らすLike A Rollin’ Stoneの張り裂けそうな歌声は、自分の進む道だけを信じる、表現者としての最も理想的な姿があるようで。これでロックの歴史が作られた、らしい。
いや、むしろ、「ロックの歴史を作ったボブ・ディラン」という晴れ晴れしい姿よりは、ライブ会場で、エレキギターを持って鬼気迫る勢いで歌い狂うボブに対し、必死でブーイングを送る客の姿の方が強く印象に残ってしまう。ライブが終わった後のインタビューにで、頬を赤らめながら、「こんなの糞だね」と知ったかぶった論理を語るあの若者は、いま、どこで、なにを思っているのだろう。そして、その姿を、「あー、先見の明がなくて可哀相なことで」とせせら笑う資格は、僕にはあるのだろうか。
ただブーイングをするためにライブ会場へ足を向ける人間たちは、ボブに対し否定的な論調を掻き立てるマスコミに踊らされている事実に決して気付いてはいないだろう。人種差別を無くすための運動をしながら、ボブを「裏切り者」呼ばわりする人間は、自分が抱えている大きな矛盾には、しばらく気付くことはないだろう。それが行き着く先は、極端に言ってしまえば、スターリンやヒトラーや大政翼賛会であって、シオニズムやブッシュやビンラディンも同様。ついでに小泉や石原もどうせ似たり寄ったりだ。
いつになったら、この世の中にいる人間たちは、自分の目と耳で得た情報だけを、自分の頭だけで考えて、自分だけで行動できるようになるのだろう。もしかしたら、どれだけ時間がかかっても無理なのかもしれないし、逆にそんな状態になれば現在形の民主主義は破綻するだろうし、そんな状況にならなければ現在形の民主主義は破綻しない。まあ、深く考え過ぎだと言われてしまえばそれまでなのだが、それでも、テレビの中の40年前のボブ・ディランは、そんなことまで、気付かせてくれる存在である。
当店で取り扱っていない商品に、こんなに熱くなってしまって失敬。
このDVDは、AやRではワンクリックしただけで簡単に購入できるだろうけど、これ以上奴らを儲けさせても仕方がないし、TやHやVに行けば簡単に手に入るだろうけど、これ以上こいつらを儲けさせても仕方がないので、できれば、街の小さなレコード屋(CD屋)で、取り寄せてでも買って欲しい。ついついそんな思いに駆られた。
いろいろと2005年を振り返ってみると、クラブ〜エレクトロミュージック界において、よくもこれだけ辛い状況が揃ったものだな、と個人的に思う。回りを見渡してみても閉塞感ばかりが目立って仕方ない。
そんなときだからこそ、90年代後半の閉塞感をぶち抜いてきた連中について語ろう。No-Future連載ようやく3回目。そこにヒントが転がってるはずだ!なんて楽観的な見方はしないけど、とりあえずはスカッとするはずだ。
No-Futureというのは、もともとはジャンルを指す言葉ではない。Cristian Vogelが、彼と彼の仲間をマネージメントするために作りあげたビジネス的な集団であり、今でいうと、Sven VathのCocoon、日本でいうところの吉本興業が該当する。それは1996年のこと。当時のUKのダンスミュージックは、ドラムンベースや、ビッグビート(懐!)が主流で、彼等のようなアンダーグラウンドなテクノは、アーティストへのサポートをできるような組織は皆無に等しかったようである(今も昔も、そう変わらないような気もするが)。そんな中、アンダーグラウンドに根ざした「組織」としては魁であったということだ。イングランドはブライトンを中心に先鋭的なパーティーを展開し、2万人を動員するダンスパレードまで実現させた、らしい。
Cristian VogelやNiel Landstrumnが、テクノのシーンと呼ばれるものを侵食し始めてから3年、ようやく彼等は居場所をみつけたことになる。すべてのものにカテゴライズを欲する高度資本主義社会においては、No-Futureがすぐに普通名称化してしまったことは、驚くべきことではない。
そういえば、www.no-future.comは、今ではCristian Vogelの運営するレーベル「Rise Robot Rise」のサイトとなってしまっているが、まだNo-Futureが存命だった頃は、古今東西のガスマスクについて真剣に語られていたのを、ふと思い出した。No-Futureは、ただのSex Pistolsからの引用で片付けられる集団ではなくて、シニカルでユーモラスでファンキーな奴等だったはずだ。
そして、何より世界にNo-Futureの名前を浸透させたのは、Tresorからの史上最凶のマスターピース「Cristian Vogel / Don’t Take More (Jamie Lidell Remix)」であろう。イレギュラーなビートなのになぜか勝手に腰が動き、暴力的なハイハットで気分はアナーキー、お馴染の「どどどどどどどどどんどんどんどんどんどんどんどんていっ!」の掛け声と共に一気に炸裂する。すべてが刺激的であり、かつ完璧であった。1997年リリースのこの曲が、石野卓球が2003年にリリースしたミックスCDにも使われていることにもわかるように、この新鮮さは永遠のものになったようである。ぴーす。
問答無用の世界的大ヒットになったにも関わらず、彼等はここを安息の地とはしなかった。同胞のDave TarridaやTobias Schmidt等は今は亡きTresorに積極的に進出する一方で、当のCristianはJamieとともにSuper Colliderの結成に至る。Cristianは、自身の混沌を極めるトラックに、Jamieの歌声という新たな武器を取得し、そのスタイルは「Don’t Take More」で受け入れられたそれとは大きく掛け離れたものであり、それだけではなく、今まで聞いたことのあるどんな音楽とも異なったものであった。留まることをしないのがPublic Image LtdでありThe Clashであり、No-Futureであるわけで。
そんなSuper Colliderの1997年のファーストアルバム「Head On」は、なんとあのSkintのサブレーベルLoadedからのリリースである。No-Futureとしての活動が、ある意味仮想敵としていたはずのBig Beatムーブメントを象徴するSkintを飲み込む形に結実したわけである。一般的なポップさが微塵もない、この音がメジャー配給である事実に、僕等は打ち震えるべきなのだ。
おそらく、最初で最後になってしまったのではないかとも思われる2000年のSuper Colliderのジャパンツアー、特に神戸公演では、残暑厳しい9月にエアコン故障という本当の意味でのNo-Futureな状況含め、Cristianのストイックさと、生ボーカルでの「Don’t Take More」などJamieのショウマン精神が融合し、筆者の音楽人生において最も印象深い出来事となっているのであります。
年をまたぐ可能性がでてきて、まあ大して焦っておるわけでもないのだが、このペースでいくと年またぎは確実だな。次回はいよいよ(ようやく)この連載の核心に迫ることになる。No-Futureの解体、そしてNo-Futureが音楽界に噛み付いた傷跡について。

そんなときだからこそ、90年代後半の閉塞感をぶち抜いてきた連中について語ろう。No-Future連載ようやく3回目。そこにヒントが転がってるはずだ!なんて楽観的な見方はしないけど、とりあえずはスカッとするはずだ。
No-Futureというのは、もともとはジャンルを指す言葉ではない。Cristian Vogelが、彼と彼の仲間をマネージメントするために作りあげたビジネス的な集団であり、今でいうと、Sven VathのCocoon、日本でいうところの吉本興業が該当する。それは1996年のこと。当時のUKのダンスミュージックは、ドラムンベースや、ビッグビート(懐!)が主流で、彼等のようなアンダーグラウンドなテクノは、アーティストへのサポートをできるような組織は皆無に等しかったようである(今も昔も、そう変わらないような気もするが)。そんな中、アンダーグラウンドに根ざした「組織」としては魁であったということだ。イングランドはブライトンを中心に先鋭的なパーティーを展開し、2万人を動員するダンスパレードまで実現させた、らしい。
Cristian VogelやNiel Landstrumnが、テクノのシーンと呼ばれるものを侵食し始めてから3年、ようやく彼等は居場所をみつけたことになる。すべてのものにカテゴライズを欲する高度資本主義社会においては、No-Futureがすぐに普通名称化してしまったことは、驚くべきことではない。
そういえば、www.no-future.comは、今ではCristian Vogelの運営するレーベル「Rise Robot Rise」のサイトとなってしまっているが、まだNo-Futureが存命だった頃は、古今東西のガスマスクについて真剣に語られていたのを、ふと思い出した。No-Futureは、ただのSex Pistolsからの引用で片付けられる集団ではなくて、シニカルでユーモラスでファンキーな奴等だったはずだ。
そして、何より世界にNo-Futureの名前を浸透させたのは、Tresorからの史上最凶のマスターピース「Cristian Vogel / Don’t Take More (Jamie Lidell Remix)」であろう。イレギュラーなビートなのになぜか勝手に腰が動き、暴力的なハイハットで気分はアナーキー、お馴染の「どどどどどどどどどんどんどんどんどんどんどんどんていっ!」の掛け声と共に一気に炸裂する。すべてが刺激的であり、かつ完璧であった。1997年リリースのこの曲が、石野卓球が2003年にリリースしたミックスCDにも使われていることにもわかるように、この新鮮さは永遠のものになったようである。ぴーす。
問答無用の世界的大ヒットになったにも関わらず、彼等はここを安息の地とはしなかった。同胞のDave TarridaやTobias Schmidt等は今は亡きTresorに積極的に進出する一方で、当のCristianはJamieとともにSuper Colliderの結成に至る。Cristianは、自身の混沌を極めるトラックに、Jamieの歌声という新たな武器を取得し、そのスタイルは「Don’t Take More」で受け入れられたそれとは大きく掛け離れたものであり、それだけではなく、今まで聞いたことのあるどんな音楽とも異なったものであった。留まることをしないのがPublic Image LtdでありThe Clashであり、No-Futureであるわけで。
そんなSuper Colliderの1997年のファーストアルバム「Head On」は、なんとあのSkintのサブレーベルLoadedからのリリースである。No-Futureとしての活動が、ある意味仮想敵としていたはずのBig Beatムーブメントを象徴するSkintを飲み込む形に結実したわけである。一般的なポップさが微塵もない、この音がメジャー配給である事実に、僕等は打ち震えるべきなのだ。
おそらく、最初で最後になってしまったのではないかとも思われる2000年のSuper Colliderのジャパンツアー、特に神戸公演では、残暑厳しい9月にエアコン故障という本当の意味でのNo-Futureな状況含め、Cristianのストイックさと、生ボーカルでの「Don’t Take More」などJamieのショウマン精神が融合し、筆者の音楽人生において最も印象深い出来事となっているのであります。
年をまたぐ可能性がでてきて、まあ大して焦っておるわけでもないのだが、このペースでいくと年またぎは確実だな。次回はいよいよ(ようやく)この連載の核心に迫ることになる。No-Futureの解体、そしてNo-Futureが音楽界に噛み付いた傷跡について。

どれだけ言葉を尽くし、文字を並べたところで、
自分が代わりに伝えられるものでもなく、
また伝えるようなものではない、ある日のある光景。
「死とはありうることが起こらないのではなく、
むしろありえないことが起こることなのだ」
ハイデッガーの言う通りならば2005年は不可能ばかりが起こる年。
12月5日に日付もかわった深夜、
和田店長自らの手で"Love Is The Message"が流され、
東京・青山のクラブ・Maniac Loveは、その12年間に終わりを告げました。
その”メッセージ”に自分はこれからなにを、どう答えればよいのだろう。
重たいシルバーのドアの中に、少しばかりの感傷と、いくつもの感謝を残し、
もう行くこともなくなる真夜中の骨董通りを一瞥したあと、
羊の皮を着た狼はそれぞれの希望と野望を積んで、
まだ見ぬ戦場へと加速したのでありました。
「社会主義を実現した1917年のロシアの十月革命から50年を経てもなお、
資本主義に基づくアメリカ映画が世界の映画に君臨する。
この明らかな事態にさらに付け加えるべきことは大してないが、
ただ映画を作る者として、われわれもまた、われわれのささやかな次元で、
チェ・ゲバラのメッセージを実現すべく、
ハリウッド、チネチッタ、モスフィルム、パインウッドといった
世界の撮影所の巨大な映画帝国の真っ只中に第二、第三のヴェトナムを
創りださなければならない。そして経済的に、かつ芸術的に、
「毛沢東語録」のスローガン風に言えば、二つの戦線の闘争を行うことによって、
それぞれの国の自由な、同胞と同志と友愛の映画を創りださなければならない」
La Chinoise/Jean-Luc Godard 1967
自分が代わりに伝えられるものでもなく、
また伝えるようなものではない、ある日のある光景。
「死とはありうることが起こらないのではなく、
むしろありえないことが起こることなのだ」
ハイデッガーの言う通りならば2005年は不可能ばかりが起こる年。
12月5日に日付もかわった深夜、
和田店長自らの手で"Love Is The Message"が流され、
東京・青山のクラブ・Maniac Loveは、その12年間に終わりを告げました。
その”メッセージ”に自分はこれからなにを、どう答えればよいのだろう。
重たいシルバーのドアの中に、少しばかりの感傷と、いくつもの感謝を残し、
もう行くこともなくなる真夜中の骨董通りを一瞥したあと、
羊の皮を着た狼はそれぞれの希望と野望を積んで、
まだ見ぬ戦場へと加速したのでありました。
「社会主義を実現した1917年のロシアの十月革命から50年を経てもなお、
資本主義に基づくアメリカ映画が世界の映画に君臨する。
この明らかな事態にさらに付け加えるべきことは大してないが、
ただ映画を作る者として、われわれもまた、われわれのささやかな次元で、
チェ・ゲバラのメッセージを実現すべく、
ハリウッド、チネチッタ、モスフィルム、パインウッドといった
世界の撮影所の巨大な映画帝国の真っ只中に第二、第三のヴェトナムを
創りださなければならない。そして経済的に、かつ芸術的に、
「毛沢東語録」のスローガン風に言えば、二つの戦線の闘争を行うことによって、
それぞれの国の自由な、同胞と同志と友愛の映画を創りださなければならない」
La Chinoise/Jean-Luc Godard 1967
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